幸せ

幸せとは何でしょう。だれしも幸せになりたいと思います。これは本能です。

お腹がすいたと感じたら、食べたくなります。お腹がすいたら食べたくなる、というのが、本能として人に組み込まれています。

ところが、幸せと感じないときには〇〇したくなる、という〇〇が、本能として人には組み込まれていません。多くの人が幸せになりたいと思うのに、幸せとは何なのか単純明快な答えがありません。どうしたら幸せになれるのか? 多くの人にとって人生最大の疑問だと思います。

いろいろな方向から考えてみましょう。

<美味しいもの>

何かを手に入れたら幸せになるのでしょうか? 例えば、とても美味しい食べ物を初めて食べたとき、とても嬉しく感じ、「おいし~い。幸せ~って言います。しかし、それを二回目に食べた時は、初めて食べた時ほどの嬉しさは感じれないことがほとんどです。三回目、四回目と、嬉しさはどんどん薄れていきます。食べ物でなくても、何かを手に入れることで「幸せな瞬間」を手に入れられます。しかし、その幸せな瞬間は直ぐに消えてしまいます。ずっと続く「幸せな状態」ではありません。

人は、初めて食べたときのあの嬉しさが忘れられなくて、「他にもっと美味しいものを食べて、あの時の嬉しさを味わいたい」と思います。そして「もっと美味しいもの」を食べれたら、次は「もっともっと美味しいもの」が欲しくなります。その次は「もっともっともっと美味しいもの」です。人は現状維持では満足できません。それが人の本能です。

現状維持では満足しないのは、悪いことではありません。この本能があるからこそ文明や科学が発展し続けてきたのです。幸せになりたくて頑張り、何かを得て幸せな瞬間を得ても、現状維持では満足できず、もっと幸せになりたくて、もっと頑張る。こうして文明や科学が発展し続けてきたのです。しかし、この本能があるが故に、幸せな状態で居続けることができません。

何かを得たときには幸せを感じます。これは幸せの一つのパターンです。このパターンの幸せは、幸せな瞬間は得られますが、ずっと続く幸せな状態ではいられません。

<宝くじ>

もし宝くじに当たったら、その瞬間、あなたは嬉しさを感じるでしょう。

宝くじを買うのはなぜでしょう? (もちろん『当たりたい』とは思っていますが 、)「儲かるから株を買う」と同じように、「儲かるから宝くじ買う」と考えて買っているのでしょうか? 宝くじで儲かることはほとんどありません。たまに儲かることもありますが、初めて宝くじを買ってから今までのトータルで儲かっている人は稀です。

それでも宝くじを買うのはなぜでしょう? 宝くじを買ってから抽選までの期間、あなたはワクワクを感じるでしょう。損するとわかっていても、お金をだしてワクワクを買っているのですね。ワクワクには価値があるということです。ワクワクは幸せの一つのパターンです。

<甲子園>

例えば、高校時代に甲子園を目指して厳しい練習をしていた人もいるでしょう。そして、ほとんどの人は甲子園に出れませんでした。でも『あの時は辛かったけど、今考えるとあの頃は幸せだったなぁ』と思うのではないでしょうか? もちろん、国立競技場でも、花園でも、文科系部活でも同じです。後から思い返すのも幸せの一つのパターンです。 

<好循環>

人は幸せだと感じていると、元気や活力ややる気が出てきます。そういう状態だとよい結果が出やすく、もっと幸せになります。好循環で回ります。逆に、不幸せだと感じていると、元気も活力もやる気もでません。悪い結果になりやすく、もっと不幸せになり、悪循環です。では、好循環で回るために、最初の幸せなるにはどうしたらよいでしょう。

幸せは、誰かからもらう物体ではありません。幸せは、何かの条件で決まるものではありません。幸せは、自分の心で感じるものです。自分の心だけの問題ですから、自分で勝手に思い込めば、好循環の最初の幸せになれます。そのための方法は既に明らかです。

一つ目の方法は、既に沢山の幸せの瞬間を手に入れていたことを思い出すことです。二つ目の方法は、ワクワクを探すことです。例えば「試験でよい点をとったら嬉しいなぁ」とワクワクすると、元気が出て、勉強がはかどり、良い点をとれます。逆に「試験で悪い点をとったら嫌だなぁ」とクヨクヨすると、元気が出ず、勉強が手につかず、悪い点をとってしまいます。三つ目の方法は、「『あの時は辛かったけど、今考えるとあの頃は幸せだったなぁ』と将来になったら思うんだろうなぁ」と想像することです。

そうして、自分で幸せだと思い込んでしまえば、自分で幸せだと感じてしまえば、好循環が回り始めます。

<夢>

幸せにはいくつかのパターンはありますが、共通するキーワードはです。もっと美味しいものが欲しいというのは言い換えると夢です。宝くじが当たることを夢見てワクワクします。甲子園を夢見て厳しい練習をしました。目的とするものがまだ得られていなくても、そこには夢が存在しています。夢が存在しているところに幸せがあります。幸せは自分の心で感じるものです。感じるということは気づくということです。そこに夢があり、気づきさえすれば、幸せを感じられます。幸せとは夢を見られることです。夢を見みて幸せを感じながら日々を過ごし、時何かを得た喜びあり、そして死の間際に「色々あったけど、幸せな生涯だった」と思い返せたら幸せですね。

夢をみられたら、それが幸せに結びつきますが、どんな夢をみかは人それぞれです。夢はいくつ持っていいですし、夢が途中で変わってもいいです。ただし、幸せに結びつきづらい夢もあります。(夢については  こちら

<見えない>

人は、見たいと思う(自分が興味あるもの)ものしか目に入りません。例えば、自分やパートナーが妊娠すると、街中にベビーカーが沢山いることに気づきます。それまでもベビーカーはいたのに、気づいていませんでした。いつもの通り道に空き地ができると、そこにそれまで建っていたものが何だったか、思い出せないことが良くあります。自分が使っている店なら思い出せますが、使ったことのない店なら思い出せません。毎日のように目にしていても、興味がないと目に入いらないのです。

目に見えるものですら、見ようと意識しないと見えません幸せのように姿かたちのないものは、なおさら、見ようと意識しないと気づくことができません。

多くの人がそのことに気づいて『青い鳥』『星の王子さま』など多くの物語が書かれています。(現状で満足しなさいと言っているのではありません。)自分の目でも、見ようと意識しないと見えません。自分の感情でも、見つけようと意識しないと感じることができません。意識しないと、そこに幸せがあっても、幸せになれません。

<温泉>

冬の寒い日に凍えながら宿にたどり着き、温泉に入った時に「あ~幸せ」とつい口にしてしまいます。幸せは精神的なものだけではありません。そもそも人は動物です。体が心地よいことも幸せの一つのパターンです。逆に、体が心地よくなければ、幸せになりづらいです。幸せになるためには、しっかり食べて、しっかり寝て、適度に体を動かすことが、むしろ一番最初に必要です。

<愛・子供>

幸せについて考えるとき、美味しいもの、宝くじ、甲子園、そして温泉は、とても分かりやすい例です。一方、幸せと関係が深いものは、愛と子供ですが、これらは単純明快なものではありません。

人の一番の夢は、愛に満ちた人生を送ることかもしれません。愛は大きな喜びですが、大きな悩みにもなります。愛にとって大切なのは「見返りを求めない」という事です。それを忘れなければ、愛に満ちた人生を送ることができます。(愛については こちら

多くの人の人生中盤の夢は、子供を育てることでしょう。他の動物もそうであるように、子供を育てることは本能的に心地よいようにできています。子育てでは幸せを感じること多いと思います。一方で、子供のことで悩むことも多いです。親の幸せに関して考えてみると、子供は他人であり(自分自身ではないという文字通りの意味)、子供はいずれ巣立つ、という事を忘れないことが重要になります。(子供については、執筆中です)

<天国>

宗教では、善い行いをすると、死後に天国で幸せになれる、とするものが多いです。

死後でないと幸せになれないのは、現世が辛いからではありません。幸せとは何なのかを明確に定義できないから、現世での幸せを示すことができないのです。幸せとは、死後に天国でなるもの、とあいまいに示すしかないのです。

とはいえ、死後に天国に行くことを夢見て、そのために日々善い行いをします。何かを夢見て行動しているのですから、それ自体が一つの幸せです。(天国については こちら 、宗教やカルトについては執筆中)

<不幸せ>

逆に、夢を見ることすらできなければ不幸せです。夢を見ることは難しいことではないのですが、夢を見づらくしてしまう本能の"罠"がたくさんあります。(本能については こちら

今いる場所が、夢を見ることができない場所なら、そこから飛び出すしかありません。(居場所については こちら