夢
夢はとても大切です。
例えは、子どもの夢は「将来はスポーツ選手になりたい」「世界遺産を沢山見てみたい」などです。多くの子どもが夢を見ていて、目をキラキラさせて生活しています。大人の夢は「家族が仲良く生活したい」「子どもをしっかり育てたい」「将来は自然にかこまれて生活したい」「もっとサッカーを広めたい」「素敵な絵を描きたい」などです。しかし、多くの大人は、夢を見るということを意識せず、実現可能な範囲の目標を目指して生活しています。例えば「100万円貯金したい」などです。
子どもの頃に大きな夢を持ってワクワクしながら日々を過ごしていた人も、大人になるにつれて実現可能な範囲の目標を目指して淡々と生活するようになる人が多いです。でも、大人が夢を見ていけない訳ではありません。子どもの頃のように無邪気に夢を見ることはできないかもしれませんが、単なる目標ではない、ワクワクする夢を見ていけない訳ではありません。夢を見ることを意識しなくなってしまっただけです。
<幸せ>
大人も夢をみるとワクワクします。ワクワクしながら生活するのは楽しそうですね。目標に向かってワクワクしながら頑張っていたら、それは夢と同じです(ワクワクしていれば、夢と目標は言葉の違いだけです)。ポイントはワクワクです。そして、そのワクワクする夢を見られていたら、それが幸せだと思いませんか。(幸せについては こちら )
夢はいくつ持ってもかまいませんし、途中で変わってもかまいません。ただし、注意点もいくつかあります。
<行動>
ここで言う夢とは、具体的な行動につながる夢のことです。行動の伴わない夢はただの願望です。行動の伴わない願望ではワクワクできません。例えば「美人女優と結婚したい」「お金持ちと結婚したい」というのが夢だとしても、何も行動をしないのであればただの願望にすぎません。そのような相手と結婚できるように、会話術を磨いたり、趣味を広げたり、人間性を高めたり、そのための行動をすれば、夢に向かってワクワクできます。
夢ははっきりとしたものでなくてもかまいません。例えば「『夢を見つける』ことが夢」ということも思春期の人には多いと思います。『夢を見つける』ための行動は沢山あります。色々なことに興味をもつこと、色々なことを経験してみること、色々な人と話をしてみること。行動に移せば夢がみつかります。
<変えられないもの>
過去と他人は変えられません。
他人は、自分ではないのですから、自分の思う通りにはなりません。他人を夢の対象とすると色々問題があります。例えば、親の夢が「子供が子ども自身の夢を見れるように育てる」ことなら問題はないのですが、「子供が親の夢を代わりに叶えるように育てる」ことだと色々問題があります。子供は親とは別の人格なのですから、親の願望通りの夢を持つ訳ではありません。他人に依存している夢は、自分の行動では叶えることができません。行動の伴わない願望にすぎません。
過去は変えられないものです。「過去にあれをしていたら、今これができるのになぁ」と考えても意味がありません。過去は関係ありません。過去の成功も、過去の失敗も関係ありません。今ここにあるのは、今どのような夢を見て、今どのような行動をするか、だけです。過去に縛られる必要はありません。
変えられないものについは、また後で書きます。
<本能>
人は本能として、色々なものを結び付けたがり、比べたがり、白黒つけたがります。これは科学の発展には必要な本能です。しかし逆に、関係ないものを結び付けてしまったり、比較しても意味のないものを比較してしまったり、勝手にレッテルを貼ったりして、理性的な判断を狂わせてしまうことも多いです。
例えば「隣の家より幸せになりたい」という夢をみてしまいがちです。本能的に隣の家を結び付けてしまいがちですが、もし元々となりに家がなかったらそんなことは考えません。隣の家は自分の夢とはまったく関係ありません。(本能については こちら )
<スケール>
今すぐにかなうような小さな夢では、ワクワクできないでしょう。小さすぎる夢も、大きすぎる夢も、すぐにかなう夢も、永遠にかなわない夢もワクワクできません。自分の成長を待って、機が熟するのを待って、そしてかなうような夢ならワクワクします。ワクワクできるスケールの夢を見つけてください。
<自己肯定感>
夢を見られていたら、ワクワクしながら自信を持って生活できます。自信とは自己肯定感のことです。(自己肯定感については こちら )
<不幸せ>
夢を見ることすらできなければ不幸せです。夢を見ることは難しいことではないのですが、夢を見づらくしてしまう本能の"罠"がたくさんあります。(本能については こちら )
今いる場所が、夢を見ることができない場所なら、そこから飛び出すしかありません。(居場所については こちら )